もうすぐ3歳

私の話

伊藤理佐の育児エッセイ漫画「お母さんの扉」を何度も何度も読んでいる。 子供の性格や成長過程はそれぞれ違うが、2歳児ってこんな感じか…3歳児ってこんな感じか…という「感じ」のエッセンスが、日常のドタバタを通じて伝わってくる。 1-2年後の様子を予習するつもりで読んだり、今の様子のあるあるを言語化してもらいたくて読んでいる。

3歳児の巻に、「一体何年経ったら育児が楽になるのかずっと考えていたが、3歳になって少し楽かも…一人で勝手にずっと遊んでるし...でも楽になったと人に話しても得することはないから黙っとこう…」という話があった。数か月前まで、私はそんなことあるのか…?楽になるだと…?そんなことが本当に...?と疑っていた。最近、この「感じ」、人間っぽくなったというか、話が通じるというか、反応が予測できるというか…。何とも言語化できないが、一瞬たりとも目を離すと大災害が起こりかねないという緊張が少し緩み、多少ならほっといても機嫌よく遊んでくれてるという安心感というか、そういう感覚があるかもしれない。ただ、あまりにあやふやな感覚なので、まだ人には黙っておきたいという感じも含めて漫画の通りだ。

タレントのイモトアヤコのブログで、子供が1-2歳の時は育児グッズしか買い物をしなかったが、2歳を過ぎたころ、育児に全く適さないデザイン重視のセダンタイプの車を衝動買いしたという話があった。私も最近、時間があれば服やカバンのことを考えている。そしてたいていの場合、最終的に買うことでぐるぐるした考えに終止符を打っている。服もカバンも、ちょくちょく買っていたつもりだったが、全体として見返してみれば、古びたものも多く、時が止まっていたように感じる。イモトアヤコの話は、友人に車を買った話をしたら「おかえり」と言われたということだった。私もどこかに帰って来たのだろうか、もう前いた場所と同じではない。

会社の上層部、経営層は男性的と言うか、実際男性が多いのだが、性格的にテストステロン豊富なギラギラした感じの人が多い。私も20代のころは彼らの言説に多少共感するところもあった。忙しく働いて競争的な環境に身を置き大変な仕事を引き受けることこそ成長できる道、とかそういう世界だ。うちの会社の上層部は、そういう仕事の仕方に共感しないまったりした社員が多いことを理解していて、まったりした社員をどう束ねて会社として成果を出すかに腐心している感じはあり、結果働きにくくはないので良いと思っている。私は、働き始めて10年以上たち、結局会社のために自分を犠牲にしても会社は応えてくれないこともある、会社に期待してはいけない、ということがわかってしまったので、そういう鬼十訓的な言説は、社員の熱意を吸い上げたいという会社の都合だよなあ、と冷めた目で見てしまう。

うまくつながらなかったので一旦育児の話に戻るが、3年、ようやく3年である。子供を病院から家に連れて帰ってきて、ミルクを飲んで便をしてくれるだけで安心した日々を思い出す。いまも、多少野菜を食わなかろうが、体重が減ってなくて便が出てればまあいい、ぐらいの気持ちでいる。あれがいやこれがいやと主張が激しいのも、まあ一時的なもんだろ、逆に主張がないよりまし、ぐらいの気持ちでいる。そんなこんなで、友達と仲良く遊べるようになってほしいとか、トイレでおしっこしてほしいとか、欲しい気持ちはあるけど、これらは親が楽したいからであって、本人的には別に困ってないのであればまあいいし、そのうち困ったら勝手にできるようになるだろ、ぐらいの気持ちでいる。

そんなこんなで、今後私は何に情熱を燃やして生きていくのだろうか、というか、情熱なんかなくても日々楽しく生きていけることなのかもしれない。

子供の話

  • 身長95.4cm, 体重14.3kg, 靴のサイズ15.5cm
  • 靴と靴下は自分で脱ぎ履きできるし、ご飯も自分でスプーンで食べられるらしいが、家では手伝ってほしがる。
  • 服は少し手伝いがいる。
  • オムツはまだ。
  • お気に入りの遊び
    • 電車の運転手さんになったり、「おとうさんといっしょ」のゆめちゃんになりきるごっこ遊び
    • ブロック、かるた、神経衰弱
    • 子供用ハサミで絵を切り抜いたり、塗り絵をぐしゃぐしゃ塗ったり
    • おままごとも引き続き熱心だ
    • 何より蒸気機関車が好き
  • 幼児語