答えのない問

最近の子供の話。

  • 保育園でおままごとで楽しく遊んでるらしいと聞いて、うちでもおままごとセットを買った。あといろんな色のフェルトを切って野菜や肉やパンに見立てるものを用意した。たしかに楽しそうに遊んでいる。食べたり食べさせたりするの大好きだな。
  • おもちゃの鉄道の線路をつないでいろんな電車を走らせて、電車同士なにかコミュニケーションを取らせているように見える。
  • パズルや型はめは、一度できてしまうとすぐ飽きてしまうし、できるまではイライラするので、適度な難易度のものを提供し続ける必要がある。一方、おままごとは終わりがなく、素材の組合せで延々遊べるので子供の遊びに大変良い。
  • 砂場の砂遊び、公園の探検も何かできたら終わりということがなく、延々あれはどうだこっちに行ってみようと飽きずにいつまでも遊んでいる。

唐突に私の話

  • 仕事で、延々答えのない問に取り組んでいる人がたまにいる。その人はそれが仕事と認められてやっているのだろうから別にいいのだが、その仕事に巻き込まれるとこちらが困ったことになる。自分の仕事がよかったのか悪かったのか、次どうするのか、何をやったら終わりなのか、延々付き合わされるだけでこちらの成果は何も出ない。そういうお仕事に巻き込まれるくらいなら子供と遊んでいたいので、なるべく距離を置くようにしている。
  • 仕事は問を立てて、それに定量的に答えを出して、次の問を立ててというのを繰り返すのが効率が良いという主張があって、いわゆるイシュードリブンというやつだ。 イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」

  • これは大変有用なのだが、うまく実践するのは簡単ではない。問を立てれば何でもいいと思っている人がいて、じつは答えのない問に取り組んでいるだけの場合もあったり、答えても意味のない問だったりする。

  • せっかくなのでお仕事のほうは効率よくやっていきたい。